#20「店長のお金事情」

おかやん

前回の復習

「一緒に逃げよう」と決めた私たち。

そのために一番必要なものであるお金を集めることになる。

前回は私の家とお金について。

今回は、パートナーとなる店長側の過程とお金について話したい。



店長の家は貧乏だ。

レベルだけで言えば、おそらく私よりずっと苦しい生活を強いられてきた。

私の家より父親がもっとろくでなしで、家にお金を入れることがなく、店長の私物を勝手に売って、自分の金にしていたと聞いた。

本当かどうかは、私にはわからないけれど。

小さいころもらったお年玉は、遣う間もなく「貯めとくわ」と母に強制的に積み立てられ、自分と教育費に充てられていた。(本人は知らなかった)

母親一人の稼ぎで、大阪でも学費が高い「大阪芸術大学」と「近畿大学」の学費を払い切ったらしい。

私と店長は14歳差もあるから、親世代も私とは時代が違うはずだけど、なぜか同じようなことをしている。

お金で苦労するかどうかは、パートナーで決まるのだなと、自分も含め親兄弟を見ていて思う。




店長の祖父は優秀だった。

本当に素晴らしい祖父だったと、大好きだったと、店長はよく言っていた。

戦後の混乱のさなか、家族・親類・血族たち全員10人近くを、祖父の針灸師としての稼ぎで養っていた。

店長は祖父に憧れて、よく働いた。

とはいえ、そこそこ遣ってしまうタイプだったので、貯金は多くなかった。

彼が稼いだお金は、周りの環境でどんどん目減りしていった。

その要因の一つに私がいる。

私とのデート代は全部彼が出していたから。3か月とはいえ、これはけっこうな額だっただろう。

そして私が寝た男の一人、店長の部下のYさんは店の金を盗んでいた。

店長はその中抜きされた金を社長に報告することなく、ずっとこっそり補填していた。

私と付き合う前、店長は「パチスロで稼いだ金を全部貯金していて、今100万ある」と言っていた。

「一緒に逃げよう」と言った時、その貯金は底をついていた。

かなしいほどに、お金に縁のない人だった。

人の運命はどこで決まるのかなと、少し、思いを馳せたり。……たり。




ブログの冒頭でも言ったとおり、私が一週間で用意できたお金は、80万ほどだった。

出発前に私が店長にそのことを言ったとき、店長は50万ほどしか用意できず、焦ったらしい。

お金で自分が負けるわけには……!と思ったとかなんとか(笑)

うん。やっぱり可愛いね。カワイイ。

男のしょーもない見栄、かわいい。


それで店長は持っていこうとか思ってたDVDとかを売って売って、どうにか同じだけの額を用意してくれるに至る。

それだけの額になるってことは、相当大枚はたいて集めたんだと思う。

そのほとんどを手放して、店長はお金を用意してくれた。

二人合わせて160万あるかないか。

私たちの全財産。

あの短い時間で集めるのは、私も店長も大変だった。

それでも、逃げると決めたからには、やるしかなかった。

あの一週間は、あっという間だったなァ。

でもよく憶えている。

おぼえている。


余談

店の金を盗んでいたYさんね。

ウチの一カ月分の給料もまるまる盗んだことがあるんだけど(私が詐欺にあって、振り込み口座を解約して、その月はたまたま手渡しだった)。

なおかつ店の金もコツコツ盗んでいたわけだけど。

のちに聞けば、そのお金はたばこ代、酒代、女を買う代、に遣われたらしい(笑)

奥さんも子供もいる人なのにね。

で、どうなったかというと。

店長が居なくなって、焼肉屋は潰れて。

他の飲食店で働いてたらしい。(飲食店しかできないんだろうなぁ)

で。そこの店でも同じことをやって。

防犯カメラにその様子がバッチリ映っていたらしい。

そこから先は、知らない。

知りたいとも思わない。

二度と思い出したくもない。

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アラフォー主婦のノンフィクション雑記ブログ
21歳で駆け落ちした経歴を持つ、現在39歳の未亡人です。 このブログが多くの人に読まれ、亡くなった夫のことを私以外の誰かにも知って欲しい。
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